1世紀を超える橋 景観の変遷

1世紀を超える橋 景観の変遷

20世紀初頭、1902年に開通し、120 年の歴史を経たポール・ドゥーマーという名を冠した橋なしに、数千年の文明を持つ首都ハノイを語ることは困難です。20世紀から現在までハノイの歴史上の出来事を目の当たりにしてきたロンビエン橋が最初に登場した時には、インドシナで最も美しく最長の橋でした。第二次破壊戦争中に、橋はアメリカの航空機によって幾度も激しく爆撃され、橋の東の川との間の領域が破壊され、一つだけが残りました。国は平和になり、ハノイには新しく近代的な橋が出来、ロンビエンは現在、鉄道線路と歩道があり、バイクと軽車両しか通行できません。



 

首都ハノイは日々新しくなり、ロン ビエン橋が架かるホン河の地域は大きく変化しましたが、依然としていくつかの昔の名残の特徴が残っています。20 年前のにぎやかなバン・チャイの漁場はほとんどの人が陸に上がり、ホアン・キエムのフック・タン地区で都市生活を送っているため、現在は漁師がまばらに住んでいるだけです。橋脚の下にあるズアの河原は、近隣の人々が借りて野菜やヤマノイモの根を薬用に栽培する開墾地となっています。


 

まるでホン河に戦後残された橋梁「孤立した橋」で
ジャグリングとサーカスをしている赤いボールのような日没時の太陽。
撮影:タイン・ハー


ホン河の流れは街の肺となり、古い鉄橋が魔法のような自然の絵のハイライトを毎日造り出しています。春にはロン・ビエン橋が霧の中で見え隠れし、夏には激しい雷雨があり、秋と冬には夕日が沈み、橋の上に太陽が昇り、比喩的で瞑想的な絵画のようです。一部の写真家にとって、日没時の太陽は、まるでホン河に戦後残された橋梁「孤立した橋」でジャグリングとサーカスをしている赤いボールのようです。昼も夜も、橋のシルエットは今でも大胆に空を背景に描かれ、街の川辺の風にそよぐメロディアスな叙情的な歌を連想させます。近い将来、ロンビエン橋のすぐ横に別の鉄道橋が架かることが知られています。首都ハノイが都市群や川沿いの商業センターと共に徐々に変化するにつれ景観はさらに変わっていくことでしょう。しかし、伝説的なロン・ビエン橋のある街の東の玄関口の現在のイメージは、多くの将来の世代の文化的な記憶の中でかけがえのない遺産として永遠に残るでしょう。
 

文、撮影:ファム・タイン・ハー優秀芸術家、写真家



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